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豪族と貴族のちがい

執筆:奈良県北葛城郡 西大和学園中学校・高等学校 社会科教諭 米田和正

 日本の歴史上、まず先に登場するのは「豪族」です。全国各地に独自の勢力をもつ豪族が数多く現れます。
なかでも、大和(奈良県)に本拠をもつ蘇我氏や大伴氏、物部氏といった大豪族は、天皇の政治を支えながらも大和王権内の実力者として大きな影響力をもちました。このような豪族の勢い(※有名な蘇我馬子は崇峻天皇を暗殺させています)に危機感を感じて、蘇我氏をクーデタにより滅ぼしたのが大化の改新をおこなった中大兄皇子でした。

 豪族に対して、「貴族」は7世紀末から8世紀初め、藤原京や平城京といった本格的な都城が日本でも建設されるようになったこの時期に出現します。
日本は中国にならって律令制度を導入し、官僚制を採用しました。この官僚の上層部を構成する人々が貴族です。当時の官人の数は、8000~9000人ほどで、そのうち貴族は100人以下とごく少数でした。それまでは天皇のいる宮まで本拠から往復していた豪族も、本拠を離れて都城内に邸宅を構えて居住するようになり、宮にある官司(役所)に勤務するようになります。
貴族は朝廷(天皇)からさまざまな特権や栄誉、給与を与えられ、その地位は世襲されて栄華を極め、都での優雅な生活をくり広げました。

 話は戻りますが、地方の豪族は、平安時代中期から自衛のために武装するようになり、各地の武士団のかしら(惣領)となっていきます。
日本初の武士政権である鎌倉幕府も、伊豆に流された源頼朝を東国の豪族たちが支持することで成立しました。執権の地位を独占した北条氏は、そんな東国の豪族の典型です。源氏将軍が絶えたのちも北条氏が将軍になれなかったのは、高貴な家柄ではなく、地方豪族の出自であることが原因でした。

 明治維新後、貴族は特権身分の「華族」として残されました。議会も衆議院に対して貴族院が置かれ、爵位をもつ華族によって議員は構成されました。第二次世界大戦後、華族制度は廃止され、日本の貴族は消滅し、貴族院は参議院に変わります。

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