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「神経衰弱」の小説家たち

執筆:北嶺中・高等学校 国語科教諭 石津 諒也


国語という科目は、「現代文」と「古典」に分けて考えられることがあります。本屋さんの高校生向けの参考書のコーナーもそうなっています。その違いは何かというと、それが近代以前に書かれたか、近代以降に書かれたかです。


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日本であれば、明治維新前後からの時代を「近代」と呼び、それまでの時代と明確に区別します。戯曲(演劇の台本)や詩、小説など、文学というジャンルでも、それまでの文学を古典文学と呼び、近代以降の文学を近現代文学と呼び分けるなど、「近代」というのは重要な境目であるようです。

小難しい話をするならば、近代の小説家たちは〈私〉というのに向かい合った点で、それまでの文学とは違います。自分とは何か。自分はなぜ生きているのか。そういうことを真剣に問い、小説などの形で表現したのです。 さて、そんな小説家たちがどんな状態になったかというと、「神経衰弱」です。 同じ数字のカードをめくって揃えて遊ぶ、あのカードゲームではなく、本当に「精神が参ってしまった」のです。

例えば、夏目漱石は帝国大学(今の東京大学)出身のエリートでした。英文学を学び、本場イギリスに留学までした秀才です。 元来日本人がイギリスの文学を研究するということに苦しみを覚えていた漱石は、留学中に「神経衰弱」に陥ってしまい、その途中に日本に帰ることを余儀なくされます。 日本に帰ってきた漱石は東京帝国大学で英文学を教えることになりますが、前任者は小泉八雲として知られるラフカディオ・ハーンでした。彼が人気講師だったのと比べて、漱石の授業は大変不評だったようです。 漱石は、そうしたことに悩みを覚え「神経衰弱」を再発。ただ、デビュー作『吾輩は猫である』の執筆は、そんな「神経衰弱」の治療のためだったというから、物事の巡りあわせは分からないものです。

その後、小説家として成功した漱石のもとを多くの小説家(見習い)たちが訪れます。毎日ひっきりなしに誰かがやってくるので、「漱石先生を訪れるのは木曜日にしよう!」と決めたことから、漱石の弟子たちのグループは「木曜会」と呼ばれるようになります。その末席に連なっていたのが芥川龍之介でした。教科書にも「羅生門」が掲載されている他、「鼻」などの名作でも知られます。 彼もまた「神経衰弱」に苦しめられた近代の小説家たちの一人で、惜しまれつつも短命に終わってしまいました。

このように、近代の小説家は多くの悩みを抱え、苦しんできたようです。 芥川龍之介に尊敬の念を抱いていた太宰治も、そういう点で近代を生きた小説家でした。 『人間失格』や『斜陽』など、生きることへの不安や疑念が描かれた名作の背景には、彼の「神経衰弱」があったのかもしれません。

さて、かくいう私は、そんな太宰治の友人でもあった坂口安吾という小説家が好きです。「必要とあらば法隆寺であっても潰して駅を作ってしまえ!」と言うような乱暴な人物ではあるのですが、そういうところも人間味があって面白いと感じさせられます。

彼が太宰の訃報に際して書いた「不良少年とキリスト」という文章には、太宰に「生きていると、疲れるね」と共感しながらも、「是が非でも、生きる時間を生きぬくよ」と生きることへの執着を見せている箇所があります。 生きる意味が分からなくなり、不安になり、時によろけながらも、それでも一歩一歩を踏みしめて歩くような安吾の文学もまた、近代の「神経衰弱」が生み出した傑作です。


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