【中学受験】有名中学現役教諭の”社会”特別授業~北海道の資源、石炭の歴史に迫る ~
有名中の授業は、好奇心をくすぐる仕掛けが盛りだくさん。そして、学ぶことの本質を突いた授業は、探求心あふれる生徒を育てます。さあ、あなたも知的な冒険に出かけましょう!
北海道の資源、石炭の歴史に迫る
執筆:北嶺中・高等学校 社会科教諭 石田 守克
三笠市がどのように北海道の産業を支えたのか
みなさんは札幌市から高速道路を利用しておよそ40分、北海道中部よりやや西に位置する「三笠市」を知っているでしょうか。2023年現在の人口はおよそ7,500人ですが、1960年のピーク時にはおよそ63,000人を数え、北海道の産業を根本から支える都市として発達し、大いに賑わいを見せていました。三笠市がどのように北海道の産業を支えたのか。また、どうして現在は人口が減ってしまっているのか。現地の博物館を訪ねるとその理由が分かってきました。
日本一のアンモナイト博物館
三笠市立博物館の大きな特徴は、「日本一のアンモナイト博物館」であるということです。日本で見つかっているアンモナイトの化石は、実は北海道から最も多く発見されています。博物館には大小さまざまなアンモナイトが並んでおり、その数は600点。しかもほぼすべての展示物を自由に手で触れることが出来るのです。他にもモササウルスやエゾミカサリュウなどの恐竜の化石が並んでおり、その迫力に圧倒されます。
「黒いダイヤモンド」とは?
博物館の奥に進むと、先ほどとはずいぶん様子の異なる展示物が広がります。かつては「黒いダイヤモンド」とも呼ばれた石炭に関する展示です。
石炭は産業革命から20世紀の途中まで、とても重要な燃料として世界各地で利用されてきました。石炭は数千万~数億年前の植物が海底に積み重なり、その後長い時間をかけて圧力・熱を受け、少しずつ形を変えながら炭化したものです。およそ1億9千万年前の三畳紀から1億2千万年前の白亜紀に茂っていた植物が炭化したものがヨーロッパやアメリカで産出されており、日本でも一部この時代の石炭が産出されていました。また、先ほどのアンモナイトも白亜紀まで活動していたことが分かっています。
つまり、北海道でアンモナイトの化石や恐竜の化石が見つかっていることと、北海道で石炭がたくさん産出されたことは無関係ではないのです。
石炭から石油へ
三笠市では明治時代に石炭が発見され、それ以降は「炭鉱の町」として栄えます。多くの人が仕事を求めて集まり、北海道最初の鉄道開通、電話開通、上水道の設置が行われました。しかし1960年代に入ると、いわゆる「エネルギー革命」が起こります。石炭に比べて合理的に熱を発生できる石油が燃料の主役となったのです。西アジアやアフリカで次々と大きな油田が発見されたことも、日本で石炭から石油にエネルギーの主役が交代することを後押ししました。石油は発電などのほか、ガソリンやプラスチックなどに使用できるということも大きなメリットであり、これがその後の日本の経済を支えていくことになりました。三笠市をはじめとする炭鉱都市は、この大きな変化に対応することを求められました。ですが落盤事故や坑道内での有毒ガスの発生など、多くの危険を伴う炭鉱での仕事が嫌がられたこともあり、どんどん人口が他の町に流出してしまいます。石油に比べて石炭は燃焼した際に二酸化炭素を大量に発生させてしまい、環境保全の考えに逆行するという考えもこの状況に拍車をかけました。こうして北海道の炭鉱は次々と閉山することになってしまいました。
今後の発展に期待を込めて
かつて炭鉱の町として発達し、北海道の歴史を作った三笠市や夕張市、赤平市。人口が減少しているものの、新たな産業を開拓し、積極的に町おこしを行っています。三笠市は博物館や資料館を開き、北海道の歴史を語る町へ。夕張市は気温の寒暖差をいかしたメロンの生産に力を入れ、日本を代表するブランドメロンを世に送り出しました。過疎が進んでいる地域ではありますが、今後の発展に期待をしています。北嶺中学校では「HOKKAIDOプロジェクト」として三笠市博物館を見学するほか、世界遺産・知床探訪や白老町の国立博物館もあるウポポイ(民族共生象徴空間)探訪、北海道議会の見学や北海道開拓の村・北海道博物館の見学など様々な活動を通して北海道の歴史や産業について理解を深めています。みなさんも一緒に北海道の歴史、味わってみませんか。 進学教室浜学園