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【中学受験】浜学園卒塾生インタビュー~前編~自ら道を拓いていく起業家兄弟

創設から65年を迎える浜学園には、中学受験で志望校合格後も、大学進学や就職で夢を実現する卒塾生が沢山います。今回は、就職活動を行う大学生のキャリア構築をサポートするAbuild(アビルド)就活を運営する「NINJAPAN株式会社」を兄弟で立ち上げた新井翔太さんと新井景介さんにお話を伺いました。前編と後編に分けてご紹介します。前編では、起業した会社への思いから、兄弟の個性の違いが際立つ学生時代を、後編では、現在に生きる浜学園での思い出など、受験生と保護者の参考になるお話をお届けします。(※掲載内容は取材当時のものです)

―現在~将来―

「能力開発」の独自メソッドで
就職活動に挑む大学生をサポート

 

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― 現在二人で経営されているNINJAPAN株式会社の事業内容を教えてください。

新井翔太さん
弊社は、就職活動を行う大学生に対してキャリア構築サービスを提供するAbuild就活を展開しています。戦略就活塾の役割を担い、単に就職活動の内定を目指すだけではなく、社会人になってからも大きく飛躍できるスキルを身につける指南などを行っています。

新井景介さん
僕たちは、“就活版・浜学園”を目指しています。最難関中学校を目指す小学生をサポートするのが浜学園なら、国内外を問わず大手一流企業への就職を目指す大学生をサポートするのが弊社です。

翔太さん
そのスキルアップを「ABUILD(アビルド)」という独自のメソッドで行っています。

景介さん
Abuildとは、英語の“Ability”と“Build”を組み合わせた「能力を築き上げる」という意味の造語です。就職活動では、入試のようにテストで合格点を取れば内定がもらえるわけではありません。企業が学生に求める能力は様々で、話すのが得意な人を求める会社もあれば、研究力に長けた学者肌の人材を求める会社もあります。学生はまず自分にマッチした会社を探す必要があるのです。弊社ではそこからお手伝いし、内定をもらうためには今の自分に何が足りないのか、何を強みにアピールすべきかを弊社のコーチングスタッフが伴走して一つ一つ明確にしていきます。


― 起業するに至った経緯を教えてください。

翔太さん
私は京都大学の大学院修了後、外資系の投資銀行に就職しました。学部時代から“埋もれた資源”を活かすことに興味があり、投資銀行ではファイナンスの観点から「経営資源」を活かすためにM&A(企業・事業の合併や買収)や株式発行、債券引受などを手掛けました。その中で顧客と接していると、組織の大元である「人材資源」を生かし切れていない企業が多くあるとわかったのです。それが「Abuild就活」を考えるきっかけになりました。

景介さん
私は大学時代から人材分野で起業していました。ただ、順風満帆とはいかず、今後を考える中、たまたま帰省したタイミングで兄から「人材資源」開発のビジネスビジョンを聞き、お互いの強みや弱みを話すうちに二人で新しいことを始めようとなりました。就職のミスマッチで心の病を患った友人も身近に見てきたので、今の大学生にそういう辛い思いをさせたくないという気持ちもありました。


― お二人が感じている、自分にはないお互いの“強み”とは何でしょうか。

翔太さん
私から見た弟の強みは、瞬発力です。「これをする!」と決めた瞬間から一気に走り出せるパワーがあります。人を巻き込む力やまわりを熱狂させる強さも人一倍あり、本当に頼れる存在です。

景介さん
兄のすごさは、常に“120点”を取れることです。私は思い立ったら突っ走る分、熱が冷めるのも早い。しかし、兄はパフォーマンスを持続でき、抽象的なことであっても「何と何を結び付ければうまくいくのか」と具体化させていく思考力があります。弊社が成長するために兄の能力は欠かせません。


― 貴社の今後の目標・展望をお聞かせください。

翔太さん
今は戦略就活塾の事業がメインですが、ミッションである「埋もれた資源を発掘していく」という観点に立てば、まだまだ新しい分野にチャレンジしていけると考えています。

景介さん
弊社にはすでに強みがありますから、それを“はしご”として他の分野に架け、そこでまた新たな強みができればさらに別の分野に“はしご”を架けていけます。その繰り返しで事業の幅をさらに広げていけると思っています。夢は1兆円規模の会社に成長させること。当然、時の運もありますが、大事なのは「目指し続ける」という姿勢です。


―大学時代―

自分の道を模索していた学部時代
失敗·挫折があったから成長できた

― それぞれが京都大学、早稲田大学を志望された理由を教えてください。

翔太さん
甲陽学院中時代、自分は何に興味があるのか、何が苦手なのかを知るために、政治学、心理学、スポーツ学、精神医学、脳科学など様々なジャンルの本を乱読していました。そこですべての根本にあるのは哲学だと気づきました。ただ、哲学の歴史を考察することには興味がなかったので、大学は学際的に学べる学部に行きたいと考えました。やがて高校生になり、東大と京大のオープンキャンパスに行った際、京大の雑然さと自由さに直感的に惹かれ、総合人間学部なら好きなことを自由に学べると思いました。

景介さん
私は高校2年でアメリカのテキサス州に留学し、野球に情熱を注ぐ中、多様性のあるアメリカ文化に触れたことでそのまま現地の大学に行きたいと考えました。しかし、学費のハードルがあって断念。日本の大学に進学するなら国際関係の学部が良いと、早稲田大学の国際教養学部を志望しました。


― 大学に入学した頃は、どのような将来像を描いていましたか。

景介さん
MBA(Master of Business Administration/経営学修士)を取得していずれ海外で活躍できればと思っていました。しかしそれは漠然としたもので、子どもの頃から続けていた野球で生きていく可能性も少し残っていたので、日本の独立リーグに所属しながら野球選手になる夢も追っていました。

翔太さん
大学入学時は研究者になりたい気持ちがありました。ただ哲学でいえば、英語・ヨーロッパ圏の言語を解読するという旧来の研究手法が主流だったので、語学が苦手な自分には向いていないと思い、学部時代は自分に合う道をずっと模索し続けました。


― 将来のことを具体的に考え始めたのはいつ頃でしょう?

景介さん
大学3年で再び留学し、NCAA(National Collegiate Athletic Association/全米大学体育協会)のトライアウトに合格できたことで野球選手への道は開けたのですが、残念ながらケガをして断念せざるを得ませんでした。帰国してエネルギーを持て余していた時、たまたま大学で起業家養成講座を受け、早稲田大学出身の先輩たちの講演を聞いたことで起業の選択肢があると気づきました。

翔太さん
私の場合、大学時代に起業は考えていませんでした。自分に合う道を模索する中で小さな失敗を経験しながら、その都度解決して、自らを高めていきました。苦手だった英語は、アメリカに留学したことで京大生の平均程度の力はつきました。学業とは関係ありませんが、中高が男子校だったので、恋愛も私にとっては学生時代にトライすべきテーマでした(笑)。


― お二人が感じる京都大学と早稲田大学それぞれの良さとは?

翔太さん
京大は、やはり自由さです。良い意味での変人がいて「やりたいことは何でもしていいのだ」と思わせてくれる空気が常にありました。自分の未来は自分で創ってかまわない。それを実感させてくれたのが京都大学でした。

景介さん
早稲田大学はマンモス校で、しかも東京にあるので多様な学生が集まっています。各分野で活躍されている大先輩も多く、普通では会えない著名な起業家の方とも“早稲田の同門”として交流させていただけるので、卒業生として恵まれていると感じています。在学時から広い視野をもって行動することができましたし、今の自分があるのは早稲田で様々なことを経験できたからです。

①景介さん(右)早稲田大学入学式。翔太さん(左)は大学4年生
②大学4年生。早稲田生としてテレビに出演(景介さん)
③大学生時代(景介さん)
④大学院休学留学中、米シアトルにて(翔太さん)



―中学・高校の思い出―

心に残っている“楽しい”行事
心に残らざるを得ない“苦しい”行事

― 甲陽学院中学校、清風中学校を受験しようと思った理由を教えてください。

翔太さん
浜学園時代にいろいろな学校を見学して、「ここだ!」と思えたのが甲陽学院でした。自由な雰囲気が漂い、在校生は優しく、優秀であるにもかかわらず嫌味はまったく感じられない学校でした。見学した体育祭にも全員が真剣に向き合い、教育理念の「明朗・溌溂(はつらつ)・無邪気」をありのまま体現していると感じて、この学校に入りたいと思いました。

景介さん
私は兄と同じように甲陽学院を目指していたのですが、不合格でした。清風中学に合格したものの、入学前は全く行きたいと思っていなかったのです。ただ、トップコースである理Ⅲコースに合格したので、清風をよく知る大阪の親戚からは「すごいね!」と言ってもらい、いつまでも意気消沈していられないと気持ちを切り替えました。


― 中学時代はどのような学校生活を送られましたか。

翔太さん
中学期は落ちこぼれで、補習や追試も受けていました。勉強ではまわりに勝てず、スポーツで活躍しようと思ったものの、小学6年生で足を骨折したことが影響して、得意だったスポーツでも挫折を味わいました。自分のアイデンティティが崩壊しかけましたが、冷静になって今後の人生をどう歩むのかと考え、「一つ一つの能力で勝てないのなら、総合力を強みにして戦おう!」という結論に至りました。以降、自信がついて成績も上がり始めました。

景介さん
私は兄とは逆で、浜学園時代の勉強の貯金もあって、中学時代は勉強をしなくてもテストで点数が取れました。その分、当時から180cm以上あった身長を生かして部活動のバレーボールを頑張り、試合に出れば無双で他校を圧倒していました。でも、部員仲間がバンド活動を始めるようになり、私もそちらに惹かれて、部活よりプライベートで軽音楽を楽しむ時間が増えていきました。


― 中学・高校時代の思い出で、今も心に残っているものはありますか。

翔太さん
高校の文化祭です。伝統的なイベントで「ミス甲陽」という女装コンテストがあり、本番に向けて3カ月前からダイエットをして、ムダ毛を剃り、セクシーな衣装をまとって臨んだところグランプリを獲得しました(笑)。男子校なのでキャーという黄色い歓声ではなく、野太い声が飛び交いますが、毎回大いに盛り上がっていたのは事実です。まさに青春の1ページを刻んでくれた思い出です。

景介さん
私の思い出は、清風名物の「高野山修養行事」です。入学早々、和歌山の高野山に行き、宿泊中の風呂は無し、三度の食事は精進料理、昼間は瞑想をして自らを省みるという、中学生にとっては苦行以外の何ものでもない行事でした。そこで授戒(じゅかい)を受けると仏様の弟子になれます。心に残っているというより“心に残らざるを得ない”学校行事でした(笑)。


― 今あらためて感じる甲陽学院と清風中学の素晴らしさは?

翔太さん
京大と同じく、甲陽学院も自由さが魅力です。私立校の多くは進路指導部があると思いますが、甲陽学院では先生による進路指導はなく、生徒も望んでいませんから、東大や京大に行きたければ自ら決めて、努力します。また、私が勝手に感じていることですが、「甲陽の校風が好きだから」という理由で入学してくる生徒が多かったように思います。一番手の中学を狙える学力があっても、あえて甲陽学院を選ぶ生徒が入学するからこそ、皆に主体性があり、仲間意識も強い学校でした。

景介さん
熱い先生が多いのが清風の良さです。今も関西に帰った時には、お世話になった先生に会うために母校を訪ねます。また、「自利利他」の精神を養えたことも宝です。自分が得をするだけでは、自分が苦しくなる。相手に与えるだけでは、相手が離れていってしまう。ギブ・アンド・テイクが大事ということで、相互利益のある関係をつくることの大切さを教わりました。

⑤甲陽学院の文化祭にて。翔太さん(右)高校2年生、景介さん(左)中学2年生
⑥京都大学合格発表(翔太さん)
⑦高校卒業の日。浜学園川西教室から一緒の友人たちと(翔太さん)
⑧中学3年生。オーストラリア・ケアンズ留学中(景介さん)
⑨高校2年生。アメリカ・テキサス野球部にて(景介さん)
⑩高校2年生。テキサスの友人と(景介さん)



次回、後編では、浜学園の思い出、そして、中学受験をがんばっている小学生へのメッセージをお送りします。


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