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◆2019年10月10日付朝日小学生新聞掲載『国づくりうつりかわり』

明治時代
 江戸時代の後期、欧米では機械を使って大量に工業製品を生産する「産業革命」が進みました。製品を売る市場を求める国は日本にも来航。江戸幕府は対外政策を改めて国を開き、貿易をはじめました。しかし、安い工業製品の輸入で国内の産業が打撃を受けるなどして幕府への批判が高まりました。その中心になったのが長州藩(山口県)や薩摩藩(鹿児島県)。外国の勢力をしりぞけることはむずかしいと知り、幕府をたおす方向でまとまりました。
 15代将軍の徳川慶喜は政権を朝廷に返す「大政奉還」を宣言。幕府はほろび、天皇を中心とする明治新政府ができました。こうした一連の流れを「明治維新」といいます。
 新政府は全国を直接治める中央集権国家をめざしました。大名が土地と人民を天皇に返す「版籍奉還」をおこない、藩を廃止して府と県に分け、政府の役人が治める「廃藩置県」を実施。特権を失った武士は不満をつのらせ、各地で武力にうったえましたが、西郷隆盛らが西南戦争でやぶれると失速しました。

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国会開設と憲法制定
 国民が政治に参加できるよう、代表者からなる議会の設置を求める動きもおこりました。板垣退助を中心とする「自由民権運動」です。これに対し政府は国会を1890年に開くと約束しました。国民からの批判をかわし、欧米諸国と対等につきあうには近代的な政治制度をととのえなければならないと考えたからです。板垣は自由党、大隈重信は立憲改進党といった政党を結成するなど、国会の開設に向けた準備が進められました。
 一方、政府がヨーロッパに派遣した伊藤博文は皇帝の権力が強いドイツの憲法や政治制度を学び、帰国後に内閣制度を創設。初代の内閣総理大臣になり、憲法の制定に取り組みました。
 アジアではじめての近代的な憲法として大日本帝国憲法は1889年に発布、翌年に第1回衆議院議員選挙が実施され、衆議院と貴族院からなる帝国議会が開かれました。

1854年 日米和親条約が結ばれ、開国へ
1867年 徳川慶喜が大政奉還、江戸幕府がほろぶ
1871年 廃藩置県
1881年 政府が国会の開設を約束
1885年 内閣制度が発足、初代首相に伊藤博文
1889年 大日本帝国憲法発布
1890年 第1回衆議院議員選挙、第1回帝国議会

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