国会開設と憲法制定
国民が政治に参加できるよう、代表者からなる議会の設置を求める動きもおこりました。板垣退助を中心とする「自由民権運動」です。これに対し政府は国会を1890年に開くと約束しました。国民からの批判をかわし、欧米諸国と対等につきあうには近代的な政治制度をととのえなければならないと考えたからです。板垣は自由党、大隈重信は立憲改進党といった政党を結成するなど、国会の開設に向けた準備が進められました。一方、政府がヨーロッパに派遣した伊藤博文は皇帝の権力が強いドイツの憲法や政治制度を学び、帰国後に内閣制度を創設。初代の内閣総理大臣になり、憲法の制定に取り組みました。
アジアではじめての近代的な憲法として大日本帝国憲法は1889年に発布、翌年に第1回衆議院議員選挙が実施され、衆議院と貴族院からなる帝国議会が開かれました。
1854年 日米和親条約が結ばれ、開国へ
1867年 徳川慶喜が大政奉還、江戸幕府がほろぶ
1871年 廃藩置県
1881年 政府が国会の開設を約束
1885年 内閣制度が発足、初代首相に伊藤博文
1889年 大日本帝国憲法発布
1890年 第1回衆議院議員選挙、第1回帝国議会