西大和学園中学校が贈る算数コラム③ Eureka(エウレカ)!
執筆:奈良県北葛城郡 西大和学園中学校 数学科
西大和学園中学校が贈る算数コラム③Eureka(エウレカ)!
*ギリシャ語に由来する感嘆詞、何かを発見・発明したことを喜ぶときに使われる。古代ギリシアの数学者・発明者であるアルキメデスが叫んだとされる言葉。
『立方体の面が透明でないとき、一度に見ることのできる立方体の面は最大いくつでしょうか?』
前回コラム②で出した問題です。
立方体を展開しない限り、3面しか見えないのでしょうか?
巨大な立方体の中に入って、あなたがその内側の一つの隅に位置すれば、(大きな立方体の部屋の隅に立ってみれば、)6つの面すべてが見えるはず。
数学や算数の問題を考えるとき、友だちから出された“なぞなぞ”やクイズを考えるとき、いやもっと言えば、日頃の生活で“想定外”の難問に出会ったとき、何かの“板挟み”なったとき、色々な物の考え方が必要になります。あるときは目で見る、あるときは頭で見る、人は心の目で見ることもできます。私たちの頭は、私たちの想像以上に不思議な力を持っています。
数学や算数で『良い点数を取る』ことばかりを優先させていると、数学や算数を学ぶ意味を確かめたくなりますが、その答えを探すことがいかに無意味であるかは、古くからある数学、算数の良問に出会えば出会うほどわかります。
この絵が何に見えるだろうか、という有名なこの問題は心理学者のジャストローが考え出しました。鳥の頭に見える?ウサギに見える?そのどちらでもない、ただ紙の上に書かれたスケッチ?
コラム①の立方体がどう見えるかという話と同じで、何に見えるかということは、私たちが“どのように見ようとしているのか”で決まります。
ココが非常に大切で、問題を解こうとするときに、君は何がしたいのか?君は何をしようとしているのか?
単に出会ったことがある、ないで、問題に取り組んでいると、本質はなかなか見えてこないものです。
学習そのものに対する取り組み方も、“口を開けて、お腹を上にして、だれかが何かを与えてくれるのを待っている”だけになっていないだろうか?
進学教室浜学園
西大和学園中学校が贈る算数コラム③Eureka(エウレカ)!
*ギリシャ語に由来する感嘆詞、何かを発見・発明したことを喜ぶときに使われる。古代ギリシアの数学者・発明者であるアルキメデスが叫んだとされる言葉。
『立方体の面が透明でないとき、一度に見ることのできる立方体の面は最大いくつでしょうか?』
前回コラム②で出した問題です。
立方体を展開しない限り、3面しか見えないのでしょうか?
巨大な立方体の中に入って、あなたがその内側の一つの隅に位置すれば、(大きな立方体の部屋の隅に立ってみれば、)6つの面すべてが見えるはず。
数学や算数の問題を考えるとき、友だちから出された“なぞなぞ”やクイズを考えるとき、いやもっと言えば、日頃の生活で“想定外”の難問に出会ったとき、何かの“板挟み”なったとき、色々な物の考え方が必要になります。あるときは目で見る、あるときは頭で見る、人は心の目で見ることもできます。私たちの頭は、私たちの想像以上に不思議な力を持っています。
数学や算数で『良い点数を取る』ことばかりを優先させていると、数学や算数を学ぶ意味を確かめたくなりますが、その答えを探すことがいかに無意味であるかは、古くからある数学、算数の良問に出会えば出会うほどわかります。
この絵が何に見えるだろうか、という有名なこの問題は心理学者のジャストローが考え出しました。鳥の頭に見える?ウサギに見える?そのどちらでもない、ただ紙の上に書かれたスケッチ?
コラム①の立方体がどう見えるかという話と同じで、何に見えるかということは、私たちが“どのように見ようとしているのか”で決まります。
ココが非常に大切で、問題を解こうとするときに、君は何がしたいのか?君は何をしようとしているのか?
単に出会ったことがある、ないで、問題に取り組んでいると、本質はなかなか見えてこないものです。
学習そのものに対する取り組み方も、“口を開けて、お腹を上にして、だれかが何かを与えてくれるのを待っている”だけになっていないだろうか?
進学教室浜学園